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冷たい風が吹き荒れる冬の午後、先生のオフィスは静かな安らぎに包まれていた。窓際のテーブルには、香り高いコーヒーが湯気を立てている。先生は本棚から一冊の古い本を取り出し、ゆっくりとページをめくっていた。

突然、ドアが勢いよく開いた。

「せ、せ、せ、せ、先生ーーー!!暴落です!大暴落ですよーーー!!!」

マヤが顔を真っ青にして飛び込んできた。慌てていたのか、足元がおぼつかず、入口の花壇に足を突っ込んでしまった。

バターン!

「あたたた、花壇に足突っ込んじゃった…」

なんとか体勢を立て直したマヤだったが、勢い余って机に腰をぶつけてしまった。

ドン!

「いった! 机に腰ぶつけた!」

先生は驚きながらも冷静にマヤを見つめた。

「落ち着きなさいよ、まったくマヤったら。暴落くらいで大慌てして。そんな簡単に暴落だなんだって言ってたら資産運用で長期積立てなんてできないわ。」

マヤは息を切らしながら、必死に訴えた。

「先生! 日経平均が過去最大級の下落幅です!!」

先生は少し眉をひそめ、手元のメガネを探した。

「最近忙しくてチャートやニュースを見てなかったのよ。メガネ、メガネ……。あらまぁ〜」

画面に映る真っ赤な数字を見て、先生も一瞬言葉を失った。しかし、すぐに微笑みを浮かべた。

「懐かしいわね。この空気感。サブプライムローン問題やリーマンショックの時を思い出すわ。あのときは少額だったとは言え、私も運用額が半分になったことに狼狽して、売却をしてしまったのよね。あの頃は私も若かったわ…」

先生は遠くを見るような目をして、思い出に浸り始めた。

「そう、あれは2007年の8月の終わりの頃だったかしら。ちょうど私が口座を開設して1ヶ月が経ったばかりの頃…。最初は順調だったのだけれど、突然の暴落で——」

マヤは焦った様子で先生の話を遮った。

「先生、そんな昔話はあとにしてくださいよ! どーしましょう! すぐ売ったほうがいいですか? これからまだ下がるんですか? それとも上がるんですか?」

先生ははっと我に返り、マヤの不安げな表情に気づいた。

「ああ、ごめんなさい。つい昔を思い出してしまって。でも、その経験があったからこそ、今の私があるのよ。」

彼女は穏やかな声で続けた。

「一応聞くけど、マヤ。あなたが何にどのように投資しているか教えてくれる?」

マヤは深呼吸をして答えた。

「はい、毎月1万円をオールカントリーのインデックスファンドで積み立てています。もうすぐ一年が経ちます。」

先生は微笑んだ。

「なるほど。じゃあ放置しておけば良いじゃない。個別株でもないんだから、世界の資本主義が続く限り、いずれ回復するわ。」

マヤは納得できずに訴えた。

「先生〜、占い師なら今後の相場も読めるんじゃないですか? 占ってくださいよ〜。」

先生は首を横に振った。

「占いません。なぜなら、占いは人の心の指針を示すためのものであって、相場の短期的な動きを予測するための道具じゃないの。大丈夫、いつかは回復するわよ。」

「いつかっていつですか?」

「さぁ? 15年以内には回復するんじゃない?」

「えー、先生ーーー!」

先生は少し苛立った様子で声を張り上げた。

「えぇい、つべこべ言わない! あなたが最初に決めた投資のルールに則るなら、愚直に積み立てを続けるしかないでしょ!」

彼女は部屋の隅にある本棚を指差した。

「あそこの本棚の『敗者のゲーム』の本を開いてみなさい。何が入ってる?」

マヤは戸惑いながら本棚に向かい、一冊の本を手に取った。

「えーと、これは……。塔のタロットカードのイラストが描かれたしおりですね。」

先生は頷いた。

「そう。塔のタロットカードの意味を知っている?」

マヤは首をかしげた。

「えっと……確か、急激な変化や崩壊、でもそれが新たな始まりを示すカードですよね?」

先生は微笑んだ。

「その通りよ。塔のカードは、予期せぬ出来事やショックを表すけれど、それは古いものが壊れ、新しいものが生まれるチャンスでもあるの。」

彼女はマヤに優しい目を向けた。

「暴落は長期投資にはつきものなの。投資の格言にも『稲妻の輝く時に相場に居続けなければならない』という言葉があるわ。」

マヤは興味深そうに尋ねた。

「その格言、どういう意味ですか?」

先生は頷き、ゆっくりと説明を始めた。

「市場が大きく動くとき、つまり『稲妻が輝く』瞬間は突然訪れるものなの。もしそのときに市場から離れていたら、そのチャンスを逃してしまうわ。長期的なリターンの大部分は、数少ない急激な上昇の日によってもたらされると言われているの。」

彼女は続けた。

「つまり、市場が不安定なときでも投資を続けていれば、その『稲妻』の恩恵を受けられる可能性が高まるのよ。逆に、暴落を恐れて市場から退いてしまうと、その後の回復や上昇の波に乗れなくなる。」

マヤは頷きながら理解を深めた。

「なるほど…。だからこそ、今は市場に居続けることが大切なんですね。」

先生は微笑んだ。

「その通り。投資はタイミングを見計らうものではなく、時間を味方につけるものなの。私も昔、暴落で狼狽して売却してしまったけれど、その後の大きな回復を逃してしまったわ。あの経験から学んだの。」

マヤは感心した様子で言った。

「先生、ありがとうございます。これからは冷静に、投資を続けていきます!」

そのとき、ふと机の上を見ると、先生のコーヒーカップが倒れ、書類が濡れている。

「あれ? 先生のコーヒーがこぼれて机がビシャビシャになってますよ。」

先生は慌ててカップを立て直し、ハンカチを取り出そうとした。しかし、手が滑ってハンカチを落としてしまう。

「大丈夫よ、なにも問題ないわ。おっと……」

ハンカチを拾おうと身をかがめた瞬間、先生は頭を机の角にぶつけてしまった。

「ガンッ!」

「いたっ……なにも問題ないわ。」

先生は顔を赤らめながら、必死に平静を装った。マヤはそんな先生の姿に微笑みながら言った。

「先生も少し動揺してるんじゃないですか?」

先生は照れ笑いを浮かべた。

「まあ、多少はね。でも、大切なのは冷静さよ。」

そのとき、先生のスマートフォンが震えた。画面を見ると、最新の市場ニュースが表示されている。

「ん? これは……」

マヤが不思議そうに尋ねる。

「どうしたんですか、先生?」

先生は目を丸くして笑い出した。

「マヤ、見てごらんなさい。市場が大きく回復しているわ!」

マヤは驚いて自分のスマートフォンを取り出し、株価を確認した。

「本当だ! すごい、過去最大級の回復です! 売らなくて本当に良かった……!」

彼女は安堵の表情を浮かべ、先生に向かってにんまりと笑った。

「先生、さっきは冷静を装っていましたけど、本当はドキドキしていたんじゃないですか?」

先生は少し頬を赤らめ、照れくさそうに言った。

「まあ、少しはね。」

マヤはさらにからかうように続けた。

「コーヒーをこぼしたり、頭をぶつけたりしてましたもんね!」

先生は苦笑いしながら、軽く肩をすくめた。

「それを言うなら、マヤだって花壇に足を突っ込んでたじゃない。気をつけないと、また土まみれになるわよ。」

マヤは思い出して顔を赤らめた。

「うっ、それは……。はい、気をつけます!」

二人は顔を見合わせて笑い合った。部屋には暖かな笑い声が響き、先ほどまでの緊張が嘘のように和らいでいた。

窓の外を見ると、雲間から一筋の光が差し込み、空が明るく晴れ渡っていた。

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